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チサンくんの「ベンハー」インタビュー記事(1)

秋夕(チュソク)なので、新しい記事が出ません。こういうときは、手付かずの記事訳をするに限ります!^^

<ベンハー>絶賛出演中のチサンくんのインタビュー記事を読むことにしましょう。
インタビューが実施されたのは今月5日。今更感ありあり~~^^


今回ご紹介するのは以下の3つです。

●[インタビュー] <ベンハー> ハン・チサン, 「リーダーとしての責任感、悟った」
●<ベンハー> ハン・チサン 「意外性のあるベンハー、普遍性を感じさせたいです」(一問一答)
●[インタビュー] ハン・チサン 「生きなければならない」, 再演<ベンハー>参画の名分をくれた歌

二つ目と三つ目は、同じ場所でインタビュー受けたものを、別々のメディアが公開しているもので、内容はほぼ同じです。
が、三つ目の記事の方が詳しい。詳しいというより、質問者の意図とはズレた回答をしているものやマニアック過ぎるものは二つ目のインタビュー記事からは外されている、という印象を受けます。
なので、さっくり読みたい方は二つ目の記事が良いかと思われます。
コアなファンの方は、そのズレも楽しみたいでしょうから三つ目の記事をお薦めしますよ~~ん(笑^^;)


ベンハー初演を見て、自分には似合わないと思ったらしいチサンくん^^;

再演で追加された「生きなければならない」という歌が、チサンくんならではのベンハー構築のキーになったらしいです。
この歌は、プレスコールではウンテさんが担当されていましたよね。チサンくんだとどういう感じになるのか・・・非常に楽しみになりました^^;

チサンくんのファンの方はご存じだと思いますが、チサンくんはシーズンごとに「キーワード」のようなものがあるのですよね~~。
今回は「肯定の自激之心」(自激之心=自責の念)、「普遍性」でしょうか^^

それから、グルーブとグラフという単語を韻を踏むような感じで使っているのもポイントかもしれません。
個人的には何故ここでいきなりグラフが出てくるのだ?と思ったりしましたが、円グラフとか某グラフではなく、例えば大統領支持率を表すときに使われるような折れ線グラフをイメージして言ってるのでしょうね。横が時系列で、ある地点でベンハーの中の強硬な感情が穏健な感情より上回った、などという感情線の変化を予め描いておいてやっていますよ、ということを言いたいのだと思います。
それならそう分かりやすく言ってくれよーー、と思いますが、そこのこだわりがチサンくんらしいとも言えるのでね。。。(あーーめんどくさい奴(爆^^;)) ← コラコラ


ところで。
インタビュー実施場所が「ソウル竜山区漢南洞の某所」と書かれているのですが、どーみたってブルースクエアです~~^^
折角なので、観劇しに行ったらこれ()と同じポーズで写真撮りたいなーー。もちろん、白シャツ&黒パンツで行くよ!(爆^^;)

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記事の日本語訳は「続きを読む」からどうぞ^^

元記事はこちら → KSDAILY


[インタビュー] <ベンハー> ハン・チサン, 「リーダーとしての責任感、悟った」

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ミュージカル<ベンハー>が再演という形でまたやって来た。ミュージカル<ベンハー>は同名の小説「ベンハー: キリストの話」を原作とし、国内創作陣が力を集めて製作した創作ミュージカルである。作家ルー・ウォラスの1880年の作品である小説「ベンハー: キリストの話」は映画とドラマなどで大衆に大人気となった。ミュージカル<ベンハー>は貴族家門の子息から一瞬にして奴隷に転落し数奇な運命をたどるユダ・ベンハーという男の生を通じて、人間なら誰もが持つ苦難と愛、そしてそれに打ち勝つ逆境と献身などを盛りこんでいる。再演として上演される今作品に新しい「ユダ・ベンハー」として参加するようになった俳優ハン・チサンはこれまで見られなかった別の魅力を誇っている。

Q. 会えて嬉しいです。初演が始まってから一ケ月が過ぎました。公演に参加した感想が聞きたいです。

A. まず、この作品をして良かった、でしょうか? このようにしっかり作られたミュージカルが韓国の創作作品という部分に自負心を感じています。

Q. 今回の作品を通じて見せてあげたい部分はありますか。

A. まず、劇中に「살아야 해(生きなければ)」という歌があります。この歌が与える意味が再演<ベンハー>に参加した私の名分であり、私が引き受けたユダ・ベンハーの生、そのラインを解いて行く鍵だと思います。その歌にこもっている感情線が今回の作品で最も重要です。凄絶さと言えましょうか。ミュージカル<ベンハー>としての特殊性において大きな骨組みを解いて行くのが宿題だったと思います。ところで今回歌を歌うことで、私の覚悟を、ユダ・ベンハーという人物が持っている「親切さ」という紐を手放すようになって変化する地点までのすべての部分を含み的に盛り込んでいるので、私にとって本当に重要な部分でした。

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Q. 以後、ベンハーの生は前とは全く違う道を歩くようになります。

A. ユダ・ベンハーという人物に関してだけ話をするならば、人間が持っている大きなフレームの中で路線を、性向を変えたのだと考えました。それまでは「おとなしさ」「柔らかさ」を持っていたとすると、今はより一層強硬に、状況によって環境によって変化できるようになったのです。強硬に性向が変わりました。そんな面においてベンハーという人物は学びを渇望した、要したとも見ることができます。彼を変えた力は学びだったのですよ。幼いティトと母、養父、そして友達を通じて多くのものを学んだのです。それまでは問題が生じれば母と家族に相談しましたが、そうはできない状況に置かれるようになってしまうので。そのように変化して、ユダ・ベンハーはリーダーという地位まで昇ったのです。

Q. ユダ・ベンハーというキャラクターを構成する過程で難しさはありませんでしたか。

A. <ベンハー>という作品は美しいセリフと歌詞、音とメロディがすごく精密に作られています。なので、その部分だけにしっかり付いて行っても80%、90%は満たされるのです。そして残りの小さな部分は私が作らなければならない部分だったと思います。ところで今作品は前作とは異なり、演出家のディレクティングをたくさん頂きました。実は解きたい地点や、解決してみたい欲もあったのですが、演出家がそんな部分より相違点に関する話を先にしてくださいました。ハン・チサンが生きる今と作品の中のその時代に生きたユダ・ベンハー間の相違点を、です。そんな部分をキャッチした結果、私の欲を諦められることができました。むしろ放棄した部分から、また他のシンクを探したりします。似ている点を挙げるなら、ちょっと前に話した学んで行く部分のことだと思います。ベンハーも学びを通じて人生の喜怒哀楽を感じたように、私も学んで行く人なのです。

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Q. 練習過程で山場であった地点があったなら教えてください。

A. ベンハーの痛み、そしてベンハーがこれを乗り越えて行くにあたって、観客にこの感情がしっかり伝達されるだろうか、と思う部分に対する悩みが最も大きい山場だったと思います。私が考えた痛みと克服のラインが面白いだろうか、と思う部分です。もし初演だったら本当に難しかったでしょう。大変で、出来なかったかもしれません。でも再演で新たに追加された「生きなければ」というナンバーを聴いてから考えが変わりました。このナンバーの中で表現されている凄絶さが克服のキーワードでした。開始からずっと語っていますが、このナンバーが、私が難しさを感じる度に山場を解消してくれたみたいです(笑)。

Q. 大変だったとき、頼る部分があるなら、それは何ですか?

A. 私が聞いた言葉の中で一度心に刺さったものは一生付いてきます。その中で私を一番変化させたものは、以前<ネクスト・トゥ・ノーマル>という作品をしながらだったと思います。その作品をする時、ナム・ギョンジュ先輩がカーニバル車両で私を家まで乗せてくださったんです。あの時、車に乗って行きながら先輩が「チサン、君はとても光る個性がある。でもそれだけ持っていてはダメだ。それとともに普遍性を備えなければならない」とおっしゃってくださったのです。私は先輩の話が心に刺さって、その次から変わろうと努力して、少しずつ変わってきました。その作品の後でトーンもたくさん変わって、演じる部分でも細かい部分が変わりました。俳優はみんな各々持っているトーンがあるんですよ。歌うにしても演技するにしても、更には目つき、声、呼吸、手振りまでも各々のトーンがあります。先輩と出会った<ネクスト・トゥ・ノーマル>という作品をする時は、私は高いトーンを持っていました。最近、過去映像を見る機会があったのですが、本当にトーン自体が五トーンは今よりさらに高かったんです。今は高音ではなく、中間音、その中心を探して取っています。先輩の言葉に従わず、特殊性だけを持っている私だったら、今の作品もできなかったでしょう。

Q. ナム・ギョンジュ俳優はこの事実をご存じですか。

A. 先輩は知らないはずです。先輩の言葉が私にこのように大きな影響を与えたのか、ということです。実は今も先輩を見ていれば本当に沢山のことを考えるようになります。今も粘り強く練習して開発していらっしゃるんですよ。

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Q. 自身が指向する人間性は?

A. 我執を警戒しよう。私が上手にやるのは当然のことであり、我執と独断を警戒して避けています。我執という誘惑に陥らないように「確信」を無条件に信頼せず警戒しなければならないと考えています。実は私はマイナー性向が強く、他人とは違うように見たい欲求が大きかったのですよ。今回の作品をしながら、そんな部分にたくさん折り合いをつけました。演出家も私がこうしたいと思ったディテールの部分で多くの意見をくださり、お互いに寄り添って、導いてくれる間柄になりました。違うのは違うというだけのこと、間違っているのではないというのを再度悟りました。答えはいろいろだから、個人趣向を尊重しなければならないと思います。

Q. 公演を観ていない観客にミュージカル<ベンハー>を紹介するなら?

A. ミュージカル<ベンハー>は今まで聴くことも観ることもできなかった韓国創作ミュージカルです。大きな自負心を感じています。私自身に大きな機会をくれた作品です。ベンハーが追求している正義、そしてその正義を探すことができる幾多の迂回の道があるのですよ。私にとってベンハーはこのような道を探せるように、観客の方々が探せるように、くださった機会と考えています。そし最後に、「生きなければならない」という歌が良いです(笑)。

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俳優ハン・チサンが「ユダ・ベンハー」に扮し数奇な運命の道を歩くようになるミュージカル<ベンハー>は来る10月13日までブルースクエアインターパークホールで公演される予定である。






元記事はこちら → ヘラルド 


<ベンハー> ハン・チサン 「意外性のあるベンハー、普遍性を感じさせたいです」(一問一答)

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ミュージカル<ベンハー>はメッセラにより反逆罪という悔しい濡れ衣を着せられ奴隷となったユダ・ベンハーがローマ貴族になりメッセラに復讐をする内容の、苦難と逆境、そして神の愛と摂理を表現した作品。 ルー・ウォラスが1880年に発表した<ベンハー:キリストの話>を原作にする。

ハン・チサンはこの中で主人公である「ユダ・ベンハー」役を担当し、より濃くなった感性を表現している。2003年、演劇<洗髪自転車>でデビューしたのち、ミュージカル<グリース>、<アルターボーイズ>、<バンディット-また別の始まり>、<西便制>、<フランケンシュタイン>、<ミュージカルデスノート>、<ジェントルメンズガイド>、<キングアーサー>など数多くのミュージカルに出演し、いつのまにか信じて観に行くミュージカル俳優として生まれかわったハン・チサン。彼は<ベンハー>再演を通じて初めてこの作品に合流し、多くのミュージカルファンの歓呼を引き出している。

5日、ハン・チサンはソウル竜山区漢南洞の某所で<ベンハー>について話を交わし、自身が描き出す「ベンハー」、そして自分の人生について説明した。次はハン・チサンとの一問一答。

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▶ミュージカル<ベンハー>に出演した感想は?

初演は観たが、その時はしたいとは思わなかった。初演のベンハーは私には似合わないと思った。だが今回<ベンハー>に参加して、本質的な内容と重複することはあるが、再演にふさわしい新しいベンハーをしっかり作らなくてはならないと言う義務感を感じた。感謝し、光栄であるとも思ったが、再演ベンハーにおいては「初めて見るベンハー」を作らなくてはならないと言う使命感があった。

▶初演はなぜ自分がベンハー役に合わないと思ったのか。

ベンハーと言えば相当数の方々が映画を思い浮かべる。それならば私が表現できるのはミュージカルの特殊性であるが、初演時はミュージカル<ベンハー>は作品として結果物を見ることができたが、キャラクターは映画と色合いが同じだった。再演はキャラクターが変わったと思った。過去に見たものよりは私のベンハーは意外性があると思う。今回は希釈された歴史意識を入れていると思う。そのため母親とぶつかるのだ。母親は強硬派であり、息子は希釈された歴史意識を持っている。これはベンハーが遊び人であるとか、意識がなかったというのではない。単に解釈していく方式が違っただけである。そうするうちに強硬派へと路線が変化する。

▶再演に突入するベンハーとして異なる肌合いがあるので、観客評価を探して見ることもあるだろう。

今回、本当に久しぶりに祖母にお見せした。祖母は補聴器をつけているが、聞き取れないということがないようにしたかった。あの日の公演はとりわけすべて正確に発音した。
私は今もその日の公演を後悔しておらず、兄弟たちと一緒にいらっしゃったが90歳を超えるうえ、歴史の生き証人だから。祖母が歴史劇をしっかり観覧したのなら満足である。幸い祖母がすごく誇らしくしてらした。そういうものに鑑みて、目上の方をお連れしたというコメントを観ながら、ベンハーの普遍性について理解するようになった。

▶今まで経験してきた既存のミュージカルとも表現方式が違う。具体的にどのように異なるように近付いているのか?

歴史劇であるだけに膨大な歴史と状況を扱っている。人間はその中でどう対処するのか、どのような人間的な姿を見せるのか、が現れる。一歩一歩、歌詞一つ一つがすべて重要な手がかりになり、意味が込められている。<ベンハー>は初めてご覧になる方々もその席で歴史を少しでも多く理解されたら、と思う伝達欲求が大きかった。そういうものに合わせて表現をしている。それを表現しようと思う欲求が他の作品に比べて違うように見えるだろうと考えている。今回ベンハーでは捨てたくなかったセリフと文字を伝達したい欲求において大変であるとしても、それについて後悔はない。

▶音源もそんな方向に気を使ったのか?

音源の録音をした時、公演に劣らず録音が大変だった。それは私が願ったことであり、プロデューサーを苦しめて追加録音を要請した。私は意図を込めたかった。正解はないので、すべてのベンハーたちのゴルゴタは各々の答えがあると固く信じている。私が考えるゴルゴタは、すでに歌詞で提示している千変万化した状況と感情移入が歌詞と音にそっくりそのまま収められている。劇中、歌でユダがイエスの言葉を代わりに伝えたりするが、そんなことも活かしたかった。正解はない。他のベンハーたちも彼ら独自のベンハーを表現している。

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▶それならば四人のベンハー(ハン・チサン、カイ、ミン・ウヒョク、パク・ウンテ)中、本人ならではの魅力は?

正解はないが、一つ目は「生きなければならない」という曲に対してものすごく愛着がある。私が初演ベンハーは似合わないと言ったが、再演ベンハーにおいて名分と機会は「生きなければならない」にそっくりそのまま収められていると思う。私にとってとても重要なナンバーであり、すべての歌詞が捨てるところがない。そのため再演ベンハーができる。ベンハーに代入できる普遍性について認知をたくさんした。普遍性の物差しはとても重要だと思う。それによって共感することができ、付いてくることが出来る余地を置けるので、それが成功したのであれば感謝するし光栄である。

ベンハーの叙事にはグルーブがある。そのグルーブにあるベンハーの立体感と特殊性がある。普遍的な一人の人間がどのように葛藤を解消するのか、その過程に対するグルーブをハン・チサンならではの色合いで美味しく、きれいなグラフを描いてみたい。

▶ローマに逼迫されるユダヤ人は私たちの歴史と似ている、と話したことがある。

我が国は外勢に逼迫されて苦痛を受けた歴史がある。ひそかに感じられる最小限のコンセンサス、私はそのくらいで良いと思う。特に、我が国は長く話をしなくても共感するに値する恨(ハン)の情緒がある。我が国がどのように克服したのか? 他人を侵略するとか他人を征服したことがほぼない我が民族には克服の情緒があると思う。

▶ベンハーを演じて感じた点があるなら?

まず肯定の自激之心(=自責の念)を感じた。「私からまずしっかりやろう」という考えを強く持っている。この頃にさらにそう思っている。 また区別をしっかりつけようとも考えるようになった。区別というのは、守ることは守り変わるものは変わらなければならないということだ。それをちゃんと区別した時、うまくいくように思う。まず私から区別をしっかりつけなければ。変化は重要だが、変わらずにいようという区別が重要であり、私たちが生きて行く上で接するすべてに適用されるように思う。私からまずよく守り、社会を覗き見たい。

▶今年実現したい目標があるなら?

私はかなりひねくれているし反抗心が強い。その固執のため、私のようなベンハーは大変であろうが、心を開いてくれたので上手くやれた。私が追求する変化に対する欲に説得力を持たせようとするなら、私の方から義務をしっかり守らなければならないと考えている。今年、一日に少しでも成長しようと思っている。例えば良い歌を知るようになるとか、良い単語について知るようになった時もそうである。本当に「私からしっかりやろう」という考えを持っている。

ハン・チサンが出演したミュージカル<ベンハー>はソウル竜山区ブルースクエアインターパークホールにて来る10月13日まで公演される。











元記事はこちら → news24


[インタビュー] ハン・チサン 「生きなければならない」, 再演<ベンハー>参画の名分をくれた歌

「再演<ベンハー>の普遍性のおかげで私にも機会が来た。ワールドカップ本選の進出国が24ヶ国から32ヶ国に増えることで8ヶ国家が掴んだ機会と同じであると言える。」

ミュージカル<ベンハー>のタイトルロールを引き受けて再演に新しく合流したハン・チサンはベンハーキャラクターの典型的な姿から少し外れた人物を表現している。

ハン・チサンが演じる「ユダ・ベンハー」は貴族家門の子弟から一瞬のうちに奴隷に転落した数奇な運命を持つ人物である。

彼は「キャスティングオファーを受けて当然光栄であったし感謝もしたが、再演にふさわしい新しいベンハーをしっかり作らなければならないと言う大きな義務感と使命感があった」と明らかにした。

自分ならではの性格とキャラクター解析を入れてハン・チサンのベンハーを作るまでは、新しく追加されたナンバー「生きなければならない」の影響があった。
「生きなければならない」はすべてを失くした悲しみと復讐を決心するベンハーの激情的な感情の変化を含んでいる。ハン・チサンはこの歌が反抗心の多い自身と似ており、ベンハーとして自分にくれた力が大きいと言う。

5日、ブルースクエア内のステージビーで会ったハン・チサンはデビュー17年目の俳優としての所信を込めてミュージカル<ベンハー>に関連した話を一貫して表明した。

以下は俳優ハン・チサンとの一問一答。


- 初演を見た感想は。
とても苦労してミュージカルとして作った多くの結果物を見ることができた。ベンハーキャラクターは映画(1962年開封)を見て思い浮かべることができる色合いがたくさん込められていると感じられた。そのため当時、ベンハーは私に似合わないと思った。

- にもかかわらず、再演に参加するようになった契機は何か。
私が<ベンハー>ができる名分と機会はナンバー「生きなければならない」にそっくりそのまま収められている。「生きなければならない」は私にとってとても重要な歌であり、「ハン・チサンもベンハーを演じることができる」という機会を作ってくれた歌である。その歌のすべての歌詞は美しく、捨てるものがない。「喜んで、私はローマ人になってやろう、汚い血を飲んでも、汚い地に転がっても汚くひざまずいても、これよりヒドイ苦痛もすべて堪えたが、私は生きなければならない」という咆哮はすでに私の心の中でヒップホップとロックとして定着している。私自身、ひねくれていて反抗心が多いので「生きなければならない」は私と似ていている点が多い。再演<ベンハー>において「チサンも参加できる」という名分をくれた歌である。「生きなければならない」を歌ってからベンハーとしての成長はもの凄い。私に与える力が相当あるということだ。

- 作品の話に先立って、なぜ自らを反抗的と言うのか知りたい。
私が何らかの枠に対する執着とコンプレックスのために、中学・高校の時はとても模範的に暮らした。私自身を拒否したのだ。だがこちらの系統にやって来てみると、私の自我のパズルの形が変だった。うねる自我を押えつけて生きていたことに対する激しい後悔がある。情緒にも形があるではないか。私の情緒を見つけてから、もう少し率直に生きなければとい誓った。状況もあるだろうが、私は生まれつきのものもあるようだ。後天的なことを言うならば、フレームに自分を縛りつけていた。学生時代、模範生として生活し損をした時間があまりにも長い。

- それならば今回の作品に臨む覚悟も特別だと思う。
再演<ベンハー>はワールドカップ本選進出国が24ヶ国から32ヶ国に増えたように、私にやって来た機会である。なぜなら再演では普遍性とミュージカル<ベンハー>ならではのシグニチュアが増えた。二匹ウサギを捕まえたと考えるのは、私が今日必ず言いたい<ベンハー>に対する称賛である。その普遍性という側面のために、私のようなマイナー性向が強い俳優のベンハーも通じたのである。

- 本人ならではの特別な表現方式があるか。
この作品は歴史劇であるだけに膨大な叙事と状況を扱っている。その中で人間がどのように対処し、どう生き延びるのか。結局、歴史も人間が作るものであるから、どのような人間的な姿を見えるのかしっかり表現しなければならない。歌詞、セリフ一つ一つが、助詞・語尾一つ一つがすべて重要な手がかりになり意味を含んでいる。初めてご覧になる方々も、その席で少しでもより多く理解されたらと思う伝達欲求が大きかった。 一字一字、より大切に吐きだして、それに合う表現をしようと努力している。以前表現した私の印象よりも違うように見えるだろうと考えている。感嘆に申し上げれば、ちょっと大変である。「ゴルゴタ」の場合でも「ただ一言だけ」「イエス様に」「どうか」「私に」「答えてください」というように、捨てる歌詞はなかった。助詞も重要である。「このざまが、あなたの望んだ姿ですか」「王になれる機会を拒否して」、それがすべて重要であるということだ。今回<ベンハー>はセリフと歌詞一つ一つを十分に伝達したいという私の欲求に力を注ぐのであれば私は後悔しない。

- 練習時、十分に意見を出して創作陣と調整をたくさんしたようだ。
私はワン・ヨンボム演出に私のようなベンハーも承諾してくれた感謝が実はある。今回私は初演ベンハーの姿と違い、練習する時もとてもひねくれていて意外性をたくさん試みた。その中で折衷点を探したが、ワン演出がたくさん間口を広げてくれていたことを知っている。映画界にポンテイル(ポン・ジュノ+ディテール)があれば、ミュージカル界にはワンテイル(ワン・ジョンボム+ディテール)がある。私がワン演出との作業において好きな単語が2個ある。「問題意識」と「効果的」である。ベンハーとして語るナレーションではないが、私たちの声で録音したナレーションがある。それが問題意識の始まりである。ベンハーとしてのナレーションも多くの問題意識を持っている。ベンハーは絶えず問題意識・歴史意識を含んでいる人間である。ましてや最近、国も乱れていて政治・経済・社会・文化など社会全般で、私たちは多くを意識しなければならないのではないだろうか。<ベンハー>は今の私たちが引き受けている義務感と使命感においてたくさん似ていている。 そのようにして場を広げる「問題意識」という単語をとても大事に受け入れた。またワン演出家は私が「このように表現してみたい」と試みをすれば「効果的ではない」と私を説得した。歯車のような巨大な設置をした演出家の口から出た「効果的ではない」はどんなことより実は説得力があった。私も我が強く、再演にだけ参加したベンハーとしてどれほど欲が多かったことか。だが巨大な歯車の中で私の小さな歯車が入れば、がたつくことも有り得ると思った。「効果的ではない」という言葉は私にとって気持ちの良い制圧であり、そこに大きな喜悦を感じた。私は効果的でありたい。

- 意見の中で「効果的」と思われて取り入れられたものもあるのか。
私が10個を意見を言えば8個は断られた。意見を通した20%を語るならば包括的である。私のベンハーは歴史意識を持っており、遊び人ではない。 しかし明らかなのは、ローマ人に長期間逼迫されていたということである。鳳梧洞戦闘で感じられるが、すべての独立軍がすべて正しく、歴史意識があり、エネルギーがあるわけではない。とても長時間続くから、行動では穏健だろうと強硬だろうと抵抗しているが、その中で慣性と言うものが生じ、疲れ果てたりしたはずである。行動に移さなければならない使命感を持っているが気持ちが薄まることも多分にある。そこで自分自身と戦い、その中から来る注意深い柔軟さがあると言える。柔軟さと信頼が置けない様の間の水位があると思う。演出家はそんな部分に注意を深くはらっていた。「それ以上行くな」という控え目な指示があった。それで私はその水位を守ろうと努力した。不信感を抱かせないラインの中で長時間逼迫が持続したという時間の経過、それによる希釈、そんな超理性的自我と戦う自分自身の内的葛藤を表現しようと思った。

- もう少し具体的に話して欲しい。
友人に裏切られ、養父は亡くなり、それによって目覚めるまで穏健と強硬に行く間隙がある。私は歴史意識を持ち合わせているが非常に穏健である。そのため母と若干ぶつかる。お母さんは強硬派だ。母と食卓で話す時、短い対話だが実は思想の対立がある。「分かっています、母さん」と言葉を切って私は話す。「私たちはただの満腹な貴族である」と。政治的にも激しさがあり中道があるが、私が解釈したベンハーはとても穏健だったと思う。だが、それは遊び人でるとか意識を持っていないというのではない。解釈する方式が違ったということである。ユダヤ人の本分を忘れずに強く対処して行かなくてはならないと言う意志は1幕のラストの曲「運命」に収められている。そこでやっと強硬派になる。

- カーテンコールでもハン・チサンのベンハーは違うようだ。
実はその場にいらっしゃるすべての観客のためだ。ミュージカルを初めてご覧になったご老人にも「あ、これがカーテンコールなんだな」と思わせて差し上げたい。私たちの観客は有難いことに3時間も集中して観覧してくださり、家に帰って現実に復帰する。私が考える現実復帰にはヒーリングが必要である。そのためには大声を出さなければならない。劇を問わず、興とユーモアは必要であると思う。私のヒーリングの中の一つもカーテンコールである。私が考えるカーテンコールに向けた固執を放棄することはできない。本当にそう望んでいる。そうであっても<ベンハー>は重みのある作品であるから、他のロックミュージカルより5分の1ほどに控えめやっている。私はカーテンコールで劇の感動が揮発されるとは思わない。<ベンハー>のカーテンコールに込めている私だけのメッセージは、結局私たちは堪えなければならないということである。「生きなければならない」という歌は私が考える再演<ベンハー>のシグニチュアだ。 そのため、カーテンコールの時、そのナンバーで終わるのは私にとっては大きな名分がある。カーテンコールで「皆さん、堪えようとする意志を入れて、大声を出してみましょう」と言うのである。ファイトと言う時、重たいファイトもあるが吠えるファイトもある。<ベンハー>は吠えることができる。なのでカーテンコールを放棄できない。カーテンコールの話が出るだけでこのように興奮する(笑)。さらに率直に申し上げれば、映像に残ったカーテンコールは普段と違う。著作権のため、3時間の劇を映像として残すことはできないではないか。カーテンコール映像を見たら、ともすれば誤解することもあろうと考えて、撮影が許可された日は3分の2くらいに慎んだりする。映像版のカーテンコールに収められた状況に対してはあまり多くを申し上げにくい。

- 開幕してからひと月が過ぎたが、これまで公演をしながら、観に行ったものはあるか。
一番最初に思い浮かぶのはブルースクエアインターパークホールという劇場である。私が確認してみたところ、世宗文化会館大劇場や芸術の殿堂オペラ劇場の次に大きな劇場だった。これは城南アートセンターオペラハウスに劣らないとても大きな規模である。そのためこの劇場に適応するのに時間がかかった。<フランケンシュタイン>もここでやったが、三回やった作品だからマニュアルがある程度確実にあったと言える。だが<ベンハー>は初めてである。この膨大な歴史劇をブルースクエアインターパークホールにどう組み合わせればいいだろうか。劇場とのケミストリーはとても重要だ。劇場サイズとメカニズムに合うように表現するための適応が必要だった。私には音響もとても重要なので、私たちの音響チームのスタッフたちにたくさん要請して苦しめた。私を非常に助けてくださった。

- 4人のベンハーの中で、本人だけの魅力は何だと思うか。
やはり正解はないが、一つ目は「生きなければならない」に対してひどく愛着があり、そのために私が再演ベンハーができた。そして観客がご覧になるにあたり<ベンハー>に付いて行くことができる普遍性について認知をするようになった。「私もあのような状況に接することが有り得る」というその普遍性の物差しはとても重要である。ユダヤ人の話であり、遠い国の話であるが、私たちが共感できて付いて行けるであろうと思う余地を差し上げるのはミュージカル<ベンハー>として大きな機会であり義務であると考える。それがもし成功したら、とても嬉しいし感謝する。ベンハーたち皆が、それを美しく表現していらっしゃるだろうし、私は私だけの方式でまずは「生きなければならない」を見せてあげようと思う。そして私が好きな<ベンハー>の叙事的グルーブ、それに合うベンハーの立体感をよく表現したい。「特殊な状況を迎えた時、普遍的な一人の人間がどう変わるのか」「どのように対処し、どのように絶望し、それでありながらどのように解消し、どのように奇跡を迎えるのか」それに対する立体感は私、チサンのベンハーのグルーブだ。チサンベンハーのグラフを上手く描いてみたかった。チサンベンハーが一つ答えを出すなら「きれいなグラフ」である。

- 初めて参加する作品で「きれいなグラフ」を描くために気を使った部分も多い。それならば観客の反応も気になるだろうが、印象的だった評価があるか。
ご両親やミュージカルを初めて見る方々をお連れしたという方々の話をたびたび聞いた。それを聞くと私は気分が良い。当然何度も観覧してくれる当事者の方々にもとても感謝する。連れてきたということは普遍化に一歩進み出た印象である。それが<ベンハー>の魅力ではないだろうか。私はプレスコールの時、<ベンハー>はすべての年齢層と多様な方々が見れると言ったりもした。

- プレスコールの時、<ベンハー>の普遍的コンセンサスを語り、95歳の祖母にも必ずお見せしなければと言った。
本当に久しぶりに一緒に暮らしている祖母にこの作品をお見せした。父と一緒にお連れして良い席に座っていただいた。前述した表現方式とつながるが、私はその日、あるいはその日の前後も、発音に特に気を使った。祖母は補聴器をはめても聞き誤ることがある。祖母が「何だって?」ということがなかったらと思った。それでその日は120%本当に一つ一つすべて噛みしめて苦労しながら発音した。これは間違った名分かも知れないが、その当時、他の観客たちも重要だが、私は祖母がちゃんと理解なさったらと思った。今もその日の公演を後悔していない。

- 記憶に残る舞台での失敗はあるか。
小銭がラインに一度乗れば10mもころがって行く。昨日盾がラインに乗った。それで客席1列におられた方が盾を受けとる所だった。やっと刀で「止まれ、エイッ」と捕らえて次の動線を進行した。くらっとした。盾は結構重い。同じ間違いが繰り返されないように、私がラインに乗らないようにしっかり制圧しようと思う。

- <ベンハー>開幕とともにOSTが発売された。 録音に重点を置いた部分は何か。
公演に劣らず録音はとても大変だった。私が願ったことだ。私がプロデューサー、エンジニアの皆さんを苦しめて追加要請したこともあったが、感謝している。容易に満足することはできないが、意図を込めたかった。すべては正解がないから、すべてのベンハーたちの「ゴルゴタ」に彼らの答えがあると固く信じている。千変万化した状況と感情が「ゴルゴタ」の歌詞と音にそっくりそのまま収められている。劇中劇でユダがイエスの言葉を代わりに伝えたりもする。私はそれらをすべて活かしたかった。

- この作品が俳優ハン・チサンに与えた影響は何か。
私が単語を主体として考える癖があるが、<ベンハー>をして感じたのは2種のキーワードで整理できる。一つ目は、私が強迫のように考えていることがあるのだが、雄大に「肯定の自激之心(=自責の念)」と話す。結局、まず私からしっかりやろうということである。その強くそう考えており、反省もたくさんしている。どうしっかりやるのか、それに対する単語がある。「区分」である。守ることは守り、変わることは変わらなければならない。含み的に申し上げたいが、その区分がしっかりやれた時、なんであろうとうまくいくように思う。私たちが生きて行きながら接するようになるすべてに適用される。私も間違いをたくさんし、守ることが守れず、変わらなければならない時に変われなかったことがある。これからでも私からそうして社会を覗き見ようと思う。<ベンハー>においても演技的に必要なのは区分である。私とベンハーの似ている点と相違点を明確に区分することが必要である。すべてにおいて私が勝負できるわけではないので、演出家が適当なタイミングでディレクションをくださる。「それはとてもハン・チサンである」と。

- 絶えず作品活動ができる原動力は何か。
私は働いてストレスを解消する。練習時は「この作品をどう加工してうまく作ろうか」というストレスを受けることがある。公演時はむしろ良い。運動はしなければならないから続けている。実は一番難しいようだが一番容易なのが運動である。とても当然なことだ。 そこには2つの理由がある。一つは正直であるということで、もう一つは誰でもできるということである。代わりに面倒である。その面倒くささだけ耐えてすれば他の部分での面倒くささを相当たくさん減らすことができる。

- 今年達成したい目標があれば。
実は私には、枠に嵌っているということに対し、理由のわからない反抗心がある。そのため変化に対する欲求も強い。私が追求するものに説得力を持たせようとするなら、守るものはしっかり守らなければならない。そのため今年も一日あたり鼻くそくらいであろうとも自分自身をアップデートしようと思った。私は良い歌を一つ知るようになっても、それが一つのアップデートだと考える。「私がこのような歌を通じて、このような情緒を一つ分かるようになったな」と思い、その日の収獲と感じられる。本当に説得力ある単語一つを聞いた時も同じである。原初的な出発点は「私からしっかりやろう」だ。以前は何も分からなくて何かの先頭に立ったりしたが、実はその直後とても恥ずかしくなった。強迫的な自責の念のため、それを包んで肯定の自責の念であると合理化させたりするが、結局「私からしっかりやらなくてはならない」と考えなければならない。今後もそのようにするだろう。



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2 Comments

みきぽん  

日本語訳をアップしてくださりありがとうございます。

3つとも読み応えあるんですが、チサはんの ゆーてる事が私には難しすぎて 「チサはん ハルモニとも一緒に住んではって、実家暮らしなのね。立派稼ぎ頭の息子さんなんだろなぁ」なんて余計なことが気になるわぁ(笑)

表現力、語彙力、洞察力と自分を冷静に見る視点が凄いですね。 でもいっぱい考えて時々疲れないのかしらぁ この賢い子は
と おババ心が発動します。

お写真のうち殆ど、チサはんの視線が遠くを見ていて、「おーい おい どこ見てるん?」というツッコミは 控えます。

2019/09/15 (Sun) 11:38 | EDIT | REPLY |   
hyangdae

hyangdae  

Re: タイトルなし

みきぽんさん^^

日本語訳がうまくないためです。ミアネヨーーン。
残りはもう少し意訳を強めて、読みやすくしてみようと思います。頑張りまっす!^^;

チサンくんはガチャ目なので、あまり正面見据えた写真って無いような・・・。

・・・というより、「イケてるだろ、俺?」という彼なりのコンセプトなんだと思います(笑)

2019/09/15 (Sun) 21:35 | REPLY |   

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