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出待ちに関するあれこれ

出待ちは、どうしても人の「欲」が表れてしまう部分なので、良い面ばかりではないですよね。

韓国の雑誌「ザ・ミュージカル」に出待ちに関する記事が掲載されました。
オリジナル記事へのリンクはこちら → 퇴근길 현상, 무엇이 문제인가 [No.191]

この記事の中の「出待ちをやめた俳優」ってドンファさんのことだと思いますが、一人の心無いファン---かなり酷かったらしいですよ---により、出待ちとプレゼントが当分中止されてしまったのは残念でした。
(私は、ドンファさんの出待ちにはここ数年参加していませんでしたが、横目でちらっと見るだけでも分かるくらい、毎回素晴らしいファンサでしたよね。)

そのファンは良かれと思って発言したのでしょうが。。。

たとえ気に入らない部分があったとしても、伝え方は工夫しなければなりませんよね。

実は、「良かれと思って」は迷惑にしかなりません。「あなたのため」とか「心配だから」は毒にしかなりません。

だから、出待ちで会話する機会があったら、とにかく「良かったです~~素敵でした~~」って絶賛してさしあげるのがいいんじゃないでしょうか?
(舞台の出来とは関係なく^^;)


 


元記事はこちら →  ザ・ミュージカル


[スペシャル] 出待ち現象、何が問題なのか [No.191]

出待ち過熱現象

俳優と観客、制作会社が語る

出待ち写真、出待ち後記、出待ち議論。 毎日、夜公演の終了後、公演ファンのSNSにしばしば上って来る問題の中の一つはその日の公演の出待ちのことだ。その内容の大部分は現場で撮った俳優の写真と参加後記に分かれるが、時には出待ちに参加した一部の観客の態度に対して猛烈な議論が起きたりする。出待ちの進行者と参加者となる俳優と観客、そしてこれを見守る制作会社は、このような現象についてどのように考えているのだろうか?

出待ち現象、何が問題なのか

公演を面白く観覧した観客が自分に感動を与えた俳優を待ちサインを貰う姿はどの国においても容易に見ることができる。そしてこれはある時点から突然起きた最新トレンドでもない。だが、なぜ国内公演界では最近になってこうも出待ち議論が絶えないのだろうか。

特殊な性質を帯びる普遍的現象

6月、公演マニアの間に少なくない影響を及ぼした事件が発生した。とある観客の無礼な言動によって心に傷を負った俳優が今後は出待ちをしないと宣言した知らせがツイッターに広がり始めたのである。該当の事件は直ちにインターネット法廷に上がり、出待ちに対する様々な議論を引き起こし、すでに絶えず繰り返される出待ち議論に疲労が溜まった一部マニアは出待ち廃止を訴えた。「俳優と観客、または観客と観客の間で守らなければならない線を越える事が頻繁に発生する出待ちは無くならなければならない。」

公演終了後、劇場の外へ帰宅のために出る俳優と劇場周辺で俳優を待つ観客の間に成り立つ非公式的な出会い(公式行事の一環ではないため)を指称する出待ち(韓国語で「退勤」)。平日夜10時前後、劇場密集地域である大学路の通りを歩いてみると、長い出待ちの列を容易に目撃することができるように、国内公演界で出待ちが一つのファンダム文化のように根付いたということは誰も否定できない現実になった。しかし毎晩、出待ちで起きた多様なことがSNS上で話題となって再生産され、一角では「主客顛倒されたまま各種物議をもたらす出待ちは廃止されなければならない」という意見が出ているということも否定できない。

出待ち議論を話す前に、先に一つ指摘しておくが、出待ちは国内公演界だけの特殊な現象ではない。出待ちはブロードウェイやウエストエンドの劇場街にも当然存在する。今すぐインターネットに接続してグーグルで「Stage Door(出演者の出入口)」という2単語で検索してみても「ステージドアのベテラン」たちが親切に劇場別の出入口の位置を整理した情報が幾列も出るくらいであう。もちろん彼らが出待ち(=退勤)という用語を使っているわけではないが、敢えて「当然」と強調して書いた理由は、面白く公演を観覧した観客が該当の公演に出演した俳優を近くで見たがるのはもしかすると極めて自然な現象であるからだ。ただし、国内の出待ちの問題はこのような現象が特殊な性格を帯びるというところにある。

何のための出待ちなのか

海外の場合、出待ちが俳優の自発的な意志で自由な雰囲気の中で5~10分以内で簡単に成り立つ一方、国内では大部分の場合出待ちを進行する俳優も、これに参加する観客も、より積極的に出待ちを消費する。ブロードウェイやウエストエンドでは言葉通り俳優が退勤する道で自分を待ってくれた観客の中の(運が良い)数人にファンサービス次元でサインをしてくれるとか写真を撮ってくれるのが出待ちの全てなら、現在大学路で進行される大多数の出待ちは「オンライン上に関連内容が事前告知され、現場でこれを進行してくれる誰かの手数が必要」であり、「公演終了後、義務的に進行しなければならない公演の必須コース」のように固まっている。俳優と観客、関係者、すべての集団から「大学路公演のチケット価格は公演だけではなく出待ちサービスが含まれた価格である」という自嘲的な話が出る理由である。

特に最近1~2年の間に、出待ち参加人員が増えるとファンクラブ次元でこれを管理するために俳優別の「出待ち規則」を作り始めて、出待ちは暗黙的な権利と義務が同時に存在する公式行事のような性格が強まっている傾向である。これについて否定的な立場を見せる観客が考える出待ちは「手当のない夜勤」という言葉で説明される。「立場を考え直してみよう。あなたが退勤しようとするのに、取引先の顧客が捉まえたとしたらどうだろうか。出待ちは公演が終わって疲れを感じる俳優にファンサービスという名目のもと、もう一度演技をさせる一種のパワハラである。」

公演を愛するマニアがこのような出待ち過熱現象をひどく憂慮する理由は、ジャンルの性格が違う公演芸術界にアイドルファンダム文化がそのまま流入し、出待ち自体が次第に俳優と観客の媒介体である「作品」が消えた俳優個人のファンミーティングに変わっているという点である。「最近出待ちが過熱して、出待ちに行くために公演を見る観客が登場し、実際に出待ちを通じて俳優の人気が上がる事例をしばしば見た。しかし俳優が能力を繰り広げなければならない所は舞台ではないだろうか。出待ちは俳優が公演を見に来た観客にありがたい心を伝え、観客は良い演技を見せてくれた俳優に感謝を伝える席でしかない。意味が変質される出待ちは俳優と観客の両方に毒になることがありうる危険なビジネスかもしれない。」 アイドルファンダム文化のように移り変わっていく出待ちの雰囲気に憂慮を示した観客アンケート応答者のこのような発言は、確かに私たちに示唆するところがある。

出待ちの意味を考えてみる時

もちろん、すべての出待ちが問題になっているのではない。これはどこまでも誤った方向に流れていっている出待ちに相当する話である。引き継いで俳優たちの出待ちアンケート調査内容で注目する部分は、俳優たちは出待ち自体を負担に感じておらず、むしろ一角の憂慮とは異なり、出待ちを公演を見に来てくれた観客に感謝を伝えることができる良い機会と考えているという点である。また出待ちで観客が見せてくれる応援は俳優自身に力になると言った。「公演後、俳優を待ってサインを貰うとか写真を撮るのは全く問題ではない。しかし出待ちを観客が当然享受しなければならない権利と考える一部観客の論理が現在の韓国ミュージカル市場の出待ち文化が否定的な方向に流れるのに影響を及ぼしていると思う。出待ち文化はいくらでも肯定的で健康な方向に発展できる。俳優と観客がお互いをもう少し理解し尊重してくれたらである。」 これはある俳優の個人意見だが、出待ち議論について悩んだことのある大多数が十分に共感できる内容である。

一部の出待ちに問題があるから出待ちは全面廃止しなければならないというような平面的な観点では、現在の問題は決してよくならないだろう。すでに問題であると認識され始めた問題から脱する方法は、まず問題を十分に認識することである。そして今現在国内公演界の出待ちは何が問題なのか冷静に眺めるためには、ある俳優がアンケート調査に残したメッセージをじっくり考えてみる必要がある。「舞台の上で熱意と誠意を尽くして公演に最善を尽くすのが俳優の一番の義務である。しかしいつからか出待ちのために公演をするようだという気がする時がある。たとえば多くの同僚たちと数ケ月間練習して作ったキャラクターや作品が、出待ちで俳優と観客が交わした対話によって変わってしまったら、果たしてこれは正しい事だろうか? 出待ちはファンサービスである。言葉通り、俳優個人の自由で成り立つサービスでしかない。だが最近になって制作会社が俳優をキャスティングする時、俳優の資質や実力ではなく、出待ちのような付加的な要素が影響を与えるという事実に懐疑感を感じる。俳優と観客が各々の位置で、公演の優先順位が何なのか、もう一度考えてみる時である。」 また別の俳優はこのような要請を残した。「公演を愛する観客の皆さん、公演の特殊性は舞台上の俳優と客席上の観客が公演中に分けあう共感が全てです。」 俳優が芸術家として残ろうとする時、俳優を芸術家として尊重する時、私たちが愛する公演が芸術として存在するはずである。




以上です。
このほかに、インタビュー結果をまとめた集計記事もあるので、意見の内訳を確認されたい場合は「ザ・ミュージカル」でそれら記事も参照してみてください。


問題提起として、この記事は悪くないと思うのですが。。。

最後の方に、俳優さんサイドのインタビュー結果が引用されてますよね。
そこに、「ファンとの会話で設定を変えてしまうことがある・・・」ってあるのですが、それってファンのせいなんでしょうか?
誰が変えているのか(俳優自らなのか、それとも制作側が命じるのか)は不明ですけれども、自分たちが考えた設定にポリシー無いから振り回される、というだけのように思うのですが・・・。

それは、出待ちやファンが悪いせいではないですよね? 
何か問題をはき違えていると考えます。

もちろん、公演期間中であろうと変更せざるを得ない部分は確かにあるでしょう。
お客さんの反応を見ながら変えていく部分もあるでしょう。

変更すること自体は悪くはありません。

でも、ファンの意見で安易にポリシー変えちゃう人がいる、ってのを、出待ちのファンのせいにされても、困るよねー。

自分たちの解釈が正しいのか、悩むことは当然あるでしょうし、それを否定するわけではありませんが、「意見は意見として聞く(=つまり聞き流す)」くらいで良いと思うし、そうであって欲しいです。

自信作を見せてください^^


(ま。ファンの力は俳優をまどわせるくらいパワーがあるってことっすかね^^;)
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2 Comments

oyuki-p  

記事にまでなったとは

長文の翻訳、本当にありがとう❗私も頑張って原文読んでみよう!実際にファンサがいいから、ファンサ目当てのファンもいるもんね、勘違いファン!
ネットの意見で最終回が変わったりって韓国ドラマあるあるだし、そこはちゃんとしてくれないとね。

2019/08/27 (Tue) 08:14 | REPLY |   
hyangdae

hyangdae  

Re: 記事にまでなったとは

oyuki-pちゃん^^

> 実際にファンサがいいから、ファンサ目当てのファンもいるもんね、勘違いファン!

丁寧に応対されてくらっときちゃうことはあるでしょうし、親しみがわけばその俳優さんとお近づきになりたくなる、という気持ちも理解できるのですけどね・・・。
その俳優さんの迷惑にならない範囲でやっていただければ、と思ってます。

私ね。嫌なファンがいるとその俳優さんを嫌いになっちゃうのですよ^^;
この程度のファンしか付かないんだな、って思っちゃいます。

なので、自分も含めて、ファン側はマナーに関しては注意しなければ、って思います^^

> ネットの意見で最終回が変わったりって韓国ドラマあるあるだし、そこはちゃんとしてくれないとね。

ドラマはともかく、舞台はねーー。
見る側は、公演のなか日あたりで演出が変わっても気が付かないか、気が付いても単に「演出家が変更を出した」くらいにしか思わないでしょうが、指摘したファンが鼻高々になるのを想像すると嫌だなーー。
そういうファンはちょっと嫌です。

もちろん、演出の変化自体は悪いとは思っていません。
(シロートの意見に振り回されている、というのを知らされるのが嫌です。)

出待ちは本当に「手を振ってお見送りをする」だけでいいなーー。

とかいって、「今日はサインしますよ」って言われたらお願いしちゃうけどね!(えへ^^;)

2019/08/27 (Tue) 20:27 | REPLY |   

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