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「フランケン」チサンくんのインタビュー記事♪(MOVIST)

一瞬、別の人の記事だと思ってスルーしてしまった(汗)チサンくんのインタビュー記事です^^;

写真が・・・すっきりしすぎて、チサンくんらしくな~~い!
(↑ 失礼なこと言ってます。え、ファンですが、何か?(爆^^;))

※ ナナヒンでサネ役だったユ・スンヒョンさんぽく見えますよね?^^


チサンくんは、そのシーズン毎のキーワードというものがあるようです。
今回は 진일보(進一步) が頻繁に出てきます。
(さらに一歩進むこと、という意味です。)

俳優として更なる一歩を踏み出すために、今回のフランケンシュタインでは演技に重点を置いているそう。
そのため、歌の迫力が落ちているという指摘があるそうですが、あえてそうしているのだとのことでした。

ミュージカル俳優としてのハン・チサンを好きな方も多いことでしょう。
その方々にとっては、今回のインタビューはちょっと寂しい内容になっているかもしれません。
でも、演技者として発展していく姿を暖かく見守ってあげていただきたいです^^

子役ちゃんへの言及あり。
今回の子役ちゃんたち、本当に上手くて私もびっくりでした。めっちゃ泣かされましたーー。

ムヨルとの演劇の話も有り!
実現したら嬉しいですが、チケ取れなさそうで今から凹む~~。


元記事はこちら → movist


「これ以上は「高音に苦心」することはない、今は後半戦である」俳優ハン・チサン

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国内でミュージカルを少し観たことがある観客ならハン・チサンという名前が馴染みのないものではないであろう。 <グリース><ネクス・ トゥ・ノーマル><ジーザス・クライスト・スーパースター><二都物語><デスノート><フランケンシュタイン>など数多くの作品で秀でた歌とダンス実力を誇り、厚いファン層を確保してきた彼である。 何より清々しい高音は観客の耳を魅了させた強力な武器と言っても過言ではない。 そんな彼が突然「もう高音に対する自負心はない」と宣言する。 大型劇場に上がって多くを学んで得たが、ある瞬間ミュージカル特有の演技慣習に浸りきって基本が崩れ始めるのを感じたという。 このインタビューは彼が熾烈な自責の時間の結果下した結論である。 かなり大きな勇気が必要だったであろう果敢な言葉が固く決心したように飛び出す。 今はこれまでの慣性から脱する更なる一歩が必要な瞬間、俳優として迎え入れなければならない後半戦であるという。


6月から国内創作ミュージカル<フランケンシュタイン>で「アンリ」と「怪物」二役を引き受けて公演中です。 インタビュー日程が出たのでしょうか。
昨日は公演がありませんでした。 それで少しお酒を飲みました(笑)。もちろん公演の前日には絶対飲みません。 私は後天的に作られた俳優ですから、管理をしなければ打撃が大きいのです。 私だけのタブー条項を徹底的に守る方です。

演劇<洗髪自転車>(2003)でデビューしてミュージカル界に足を踏み入れました。 大衆的な作品<グリース>(2005)を経て <二都物語>(2014) <デスノート>(2017) <ナポレオン>(2017) <砂時計>(2017)など、最近までのべつ幕無しに多くの作品を消化しました。
大学で専攻したのは演劇でした。 演劇を直接作って配役を演技することにすっかりはまって暮らしました。 誰より積極的に活動しました。 他の教養授業は抜け出しても、演劇の授業だけは必ず出ましたから。 夢なく学生時代を過ごした私を救援してくれた義理のあるジャンルといいましょうか(笑)。でも偶然な機会でミュージカルのオーディションを受けて、急にミュージカル俳優としての生が始まったのです。

演劇と違い、ミュージカルは歌まで上手でなければなりません。 また一つの才能を見つけたことになりますが。
歌は好きでしたが、デビュー以後もミュージカルというジャンルが要求する唱法や発声は全く知らない状態でした。 <グリース>のように大衆的なポップを主とした作品は消化できましたが、将来歌で強みを見せてあげることができなければミュージカル俳優として野望を抱くのは難しい状況でした。 ミュージカル作品の大部分は80パーセントほど歌で成り立ちますから。 20代中盤は、自ら成長の余地があまりないように感じられたりしましたが…幸いに<スウィニートッド>(2007)という作品で俳優ホン・グァンホに会って多くを学びました。 彼が演じるのを見て頭声を独学して、そのおかげでミュージカル助演俳優として生き延びることができる武器を装着するようになりました。

ホン・グァンホとの出会い…もう10年にもなる話です(笑)。
考えてみればそこまでがぴったり私の人生の前半戦です。

その言葉は、後半戦もあるという意味ですね。
食べていける程度を稼いで、ある程度収入を得るようになったからか、少しずつ惰性に浸り始めました。 演劇があまりにも好きだった20代序盤の私のアイデンティティを忘れて生きていました。 2009年に軍隊に行きましたが、その時までずっとそんな状態でした。 ただ「やっとやっと」暮して来た印象です。

とても厳しい評価ではないですか(笑)。ハン・チサンという名前になじみのない大衆も多いですが、ミュージカル業界では高音を確かに消化する、歌の上手な俳優として有名です。 <ジーザスクライストスーパースター>(2013)の「ユダ」役で特に輝やき、心強いファン層も保有しているではないですか。
その間喉の管理をあまりにも徹底的にしましたし、今もそうしています。 見栄ではなく、作品に臨む間、私くらい徹底的に管理する人は本当にないと思っても良いです(笑)。ですが…ミュージカル作品で長期間歌を歌ってみれば本当に「用心」しなければなりません。 そうではなければ演技の健康に良くない影響を及ぼします。

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何に気を付けなければならないという意味ですか。
ミュージカルでは喉が傷つかない効率的な発声をするのが重要です。 まるで声楽をするように、ということです。 でもしきりにそんな方式で声を出すと、平凡なセリフを言う時まで同じような方法で演じるようになります。 言葉は(歌ではなく)本当に言葉のように感じられなければならないのに。 人々がミュージカル俳優に持つ偏見も主にそういうことではないでしょうか。 実際にミュージカル俳優がドラマや映画のオーディションを受けに行けば、いくら努力しても「俳優様、今より力を抜いて演じてください」という話を聞くようになります。 知り合いの後輩も気を付けると言っていましたが、そうだったと言っていました。 私たちのような俳優はそんな過程を経て感じることが多いです。

例えると、淡泊に演じることができず、ちょっと誇張されたように見える特有の印象を意味していますか。
そうです。 演劇<レッド>(2013)でご一緒した演劇界の大先輩であるカン・シンイル先生から厳しい助言を聞いたりもしました。 言葉は言葉のように感じられるように演じなければならない、という趣旨でした。 その度に私自身がすごく恥ずかしかったです。 俳優の演技がそうであってはならにのに…自分自身を責め苛みました。

今公演中である<フランケンシュタイン>でそんな心境変化が反映されたと見ても良いでしょうか。 初演(2014)、再演(2015)に引き続き、今年は三回目の公演であるだけに、過去の演技とは確実に異なる姿が目につきます。
歌よりは演技に集中しています。 二つの間の関数関係に正解はありませんが、歌に相応しい発声に慣れればセリフに相応しい発声は弱くなる反比例関係があると感じています。 歌は演技健康にとって確実に良くはありませんでした。 三度目の<フランケンシュタイン>を演じる今回くらいは、独白を言う時「今このセリフをなぜ言っているのか」を必ず理解して発声したかったのです。 この前より歌が弱くなったという評価もありますが、むしろ今はさらに大きな喜悦を感じています。

誰かがあなたの変化に気付いて、ある種の指摘をしたようです。
率直に言えば、喉の状態が良いかと言う質問を数回聞きました。 以前のような高音を出さないから私の喉の状態がおかしくなったように見えるでしょう。 しかし私の声帯は誰よりもきれいです。 最近耳鼻咽喉科でも同じ所見を受けました。 これは結局、演技に対する私の哲学と所信の問題だと考えます。

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今日は相当な覚悟でここに出られたようですね(笑)。正確に言っておきましょう。 歌が「歌えない」のではなく「歌わない」ということです。 より良い演技のためにです。
歌が歌えず、高音も出せなくて、演技のみで勝負してみようとしたら誤解を受けることもあります。 でも私は決してそうではありません。 管理することを全部しながら、俳優として更なる一歩を踏み出してみようということなのです。 もちろんこれまで私のミュージカルを好んでくれたファンの立場では裏切られた気持ちを感じるかも知れません。 「あんたは誰のおかげでここに上って来たの? あんたが得た富と名誉はすべて誰がくれたものなの?」(笑)と言うこともできるでしょう。 ミュージカルで得るようになったすべてに対しては本当にありがたいと思っています。 でも演技をする人は自分の芸術的能力を更に一歩進めなければ発展することができないと考えます。

今回の進展によって到達したい目標とは何でしょうか。
今公演中であるミュージカル<フランケンシュタイン>に男の子の子役俳優が三人出演します。 お世辞ではなく、この子たちはすごく演技が上手なんです。 私と一緒に湖畔に座って一言二言セリフを交わしあいますが、それがとてもキレイで、率直で、直観的に感じられるのですよ。 その子たちは、自分がなぜそのセリフを言っているのか明確に分かっているんです。 一方で私の演技はアカがついて汚れました。 私がその子たちよりもっとうまく演じられたら嬉しいです。

誰でも自身の業界に長く携わればある習慣が生じるものと決まっています。 それを悪く見ることもできますが、時には「ノウハウが生まれた」と表現することができる見方もあると思います。
もちろんです。 しかし進化するためには良くない癖は果敢にダイエットしなければなりません。 ともすれば「ご飯食べましたか?」のような単純な一言も歌のように歌うようになります。 演技に対して意志があるならば、チョ・ジョンソク兄さん、オム・ギジュン兄さん、そしてキム・ムヨルのように活動しなければなりません。 ミュージカル業界で主演級を引き受けている俳優がこのような言葉を言えば異端児のように聞こえるかもしれないというのも分かっています。 しかし一ジャンルだけにとどまらず、また別の基準で作品を選択したいです。 私たちのような人は自分の場所だけを守ろうとせずに、もう少し開かれた態度で多様な試みをしなければなりません。 文化的な進歩の概念が必要です。 政治的な意味ではありません(笑)。

進歩、保守という単語が政治的にしばしば使われるだけであって、人間の生で常に活用できる単語であると思います(笑)。
若いころからまるで公式のように、根付いているものに対する反抗心が大きかったです。 私もまだ知らない私の自我が明確にあるにもかかわらず、惰性に浸って詰めこみ主義教育を受けて、2浪までしたからです。 私の適性を知っていたら、もう少し早く演劇映画科に進学したのに、願うことを勇気をもって言える教育的雰囲気が皆無でした。 その結果、恐慌障害を経験したりもしました。

ほう…
2浪の末、狂った振りをして演劇映画科に志願しました。 やってみたら、人も変われるんだということを知りました。 今も同じです。 (他の人たちはどうであれ)私だって新しい試みをしてみています。 もちろんそれに依る周辺の好き嫌いはあるでしょうが、それさえ楽しんでいます。 こんなことを言えば、誰かは「好き嫌い」の意見のために傷ついたのかとも言いますが(笑)、そうではありません。 本当に楽しんでいます。

(笑)分かりました。 最後の質問です。 最近小さな幸せの瞬間がありましたら教えてください。
今日のように、少し危険かもしれない発言ですが、私の所信を守る言葉を言う時が幸せです。 私が私を信じて、その力を土台に何かを変えなければなりません。 そうではなければ変化することができませんから。 「これは私が望んだものではないのに…」という気がする瞬間を正したいです。 多分このインタビューを見て、周辺でこのように言うかも知れません。 もう少し早くからもっと演技に力を入れればよかったのに!(笑) でも最近<アマデウス>(2018)という演劇で「サリエリ」を演じ、経絡を通じてエネルギーが通っている印象がするほどに幸せさを感じました。 あ、もっと言いたいことがあります。

何でしょうか。
キム・ムヨルとともに「町内会」(2006~)という劇団を作って、すえに四回目の自主製作演劇を上げました。 そしてまたすぐに定期公演を始めることにしました。 インタビュー時にこの事実を公開するはずであるとは伝えていませんでしたが、ま、言っても大丈夫でしょう!(笑)
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