FC2ブログ

日本版「フランケンシュタイン」の記事^^(雑誌「ザ・ミュージカル」より)

韓国のミュージカル雑誌「ザ・ミュージカル」に日本版<フランケンシュタイン>に関する記事が掲載されている、という話は聞いていたのですが、なかなかネットにアップされないなー(ま、日本の話題だから、無理なのかなー)と思っていましたが・・・

やっとアップされました!^^

C3RMn30VUAEqCp-.jpg
ザ・ミュージカル2月号

2月号の記事は全体的にアップが遅かったみたいです^^
(スリルミー関連の記事も数日前になってやっと公開されていましたし~~)

フランケン記事は2種類ありました。
●加藤和樹さんインタビュー
●ザ・ミュージカルの記者さんによる日本公演レビュー

特に記者さんレビュー、良く書いてくださっていたので有難いです~~~♪^^



元記事はこちら → ザ・ミュージカル


<フランケンシュタイン>加藤和樹インタビュー

<フランケンシュタイン>日本公演で怪物役で出演した加藤和樹に韓国ライセンスミュージカルに出演した所感を聞いた。このインタビューは日本の媒体BUTAKOMEの協力で実現した。

15940569_1301500943247504_1380037847678957168_n.jpg



韓国<フランケンシュタイン>を直接観て、今回日本公演に参加するようになりました。参加した所感は?
日本<フランケンシュタイン>への出演提議を受けて、韓国公演を観るようになりました。正直、衝撃でした。韓国語は分かりませんが、圧倒的な声の強烈さに心が惹かれました。「私がこの作品をできるだろうか?」という心配が正直な気持ちでした。でも私が好きな作品であり、どうせやることになったのだから最善を尽くそうという気持ちでした。私なりに、私ならではのものを作ろうと言う気持ちで準備しました。

韓国ミュージカルに出演した所感はいかがですか? 韓国ミュージカルから感じた差はありましたか?
板垣演出がおっしゃいましたが、作品が観客の想像に任せる部分が結構ありました。例を挙げると、ビクターとアンリが近くなった後一緒に研究をするようになりますが、実際一緒に研究する場面はありません。観客の想像に任せたのです。

日本公演として作っていく過程はどうでしたか?
練習室でビクターとアンリ役4人の俳優、板垣演出と共に討論をしながらセリフの表現とか単語を変えながら試しながら作っていきました。韓国の歌詞には生命創造に対して語る部分に難しい言葉がたくさん出てきます。アンリやビクターの考えはシンプルで直接的なので理解しやすくなければならないと考えて、なので作家が森雪之丞さんが書いた日本語の歌詞には難しい表現が無いです。言い方ひとつで雰囲気が変わるかもしれないので、一言一言注意深く作りました。

日本特有の<フランケンシュタイン>を作りたいと言いましたが、日本版<フランケンシュタイン>の特徴とは?
韓国作品は音域が広いです。ビクター役の中川晃教さんが言っていたのですが、本当に低い音から高い音まで余すところなく使います。なのですごく苦労しました。パク・ウンテさんが歌う映像を見て、「一体どんな声帯なのか?」と驚いたのですが、今見てもそういう気がします。私は良い音楽に負けない演技をお見せしようと思いました。<フランケンシュタイン>ではキャラクターの感情がよく表れていますので、動作一つ、動き、表情、そういうものがきちんと表現されて音楽と合えばかなり価値のある作品だと考えます。板垣演出もこの部分を重要に思って、アンサンブルや子役の俳優にもかなり真摯に演技指導をしました。

韓国公演を観たこととは別に、実際に公演に参加しながらさらに感じたことはありますか?
本当に救いのない劇です。こんなに重い作品だったかと今更ながらに感じました。キャラクターが1幕と2幕それぞれ役を変えますが、板垣演出がおっしゃったように核心は変わりません。怪物だけは唯一アンリとつながっているキャラクターですが、人間たちの(変わらない)本質が感じられて面白いです。今回の劇でかなり印象的なセリフがあるのですが、エレン役の濱田めぐみさんが2幕で担当するエバが、「どこにでも怪物はいるよ」というのです。本当にぞっとするセリフです。怪物が「私から見れば人間が怪物だ」と言うのですが、人間ならば怪物のような部分一つくらいは持っているのではないでしょうか。それで、人間とは何かを考えるようになり、人と怪物は何が違うのか良く分からないという気もするし、韓国の俳優たちもこんなことを考えたのかわかりませんが、今回の公演をしながらの発見でした。

アンリまたは怪物を通して見せてあげたいものは何ですか?
かなり矛盾していますが、あのように人を殺す怪物ですが、生命に対する純粋な愛を表現できればいいなと思っています。ビクターに復讐をする場面でも、怪物からアンリの心を探していたように思います。最後の瞬間、今までずっと「創造主」と呼んでいましたが「ビクター」と呼びます。そこにとても意味があると思います。お前も私と同じ存在になったと語るその場面で、矛盾していますが二人はやっと同じになったという気がします。歪曲した愛です。






元記事はこちら → ザ・ミュージカル


ついにやってきた日本初演<フランケンシュタイン>

2017年1月、東京日生劇場でミュージカル<フランケンシュタイン>日本初演の幕を上げた。初日公演にはユ・ジュンサン、パク・ウンテ、チェ・ウヒョク等韓国キャストが訪問し、劇場は特別な雰囲気に満たされた。観客はドラマティックな音楽や早く展開される壮烈なストーリーに泣き、熱狂した。1963年の開館以後、日本の芸術文化に多大な功績を残し、多くのミュージカルが公演された日生劇場の歴史に韓国創作ミュージカルが名を遺した瞬間であった。今回の日本公演は東宝とホリプロの共同制作で実現された。今まで<ジキルとハイド><ラカージュ・オ・フォール>等長い間人気作品を制作してきた両企業は日本国内でミュージカルファンたちの高い信頼を得ている。

15965984_1301500093247589_2147657115638041779_n_20170309202017952.jpg

最前線で活躍する日本のミュージカル俳優たちの競演

筆者が観た公演は、ビクター/ジャック役に中川晃教、アンリ/怪物役に加藤和樹だった。中川は<モーツァルト!>日本初演当時、日本ミュージカル界に彗星のように現れたトップスターとして、たぐいまれな歌唱力と表現力でカリスマと少年性を兼ね備えた彼ならではのビクターを作り出した。母親の蘇生を願う孤独な少年の純情と、神をも畏れぬ野心を同時に併せ持つ中川のビクターは観客の心に深く残った。

加藤は今や日本で一つのジャンルとして確立された2.5次元ミュージカルを始めに、大作ミュージカルの主役を続々と手にしているだけでなく、歴史モノやシェイクスピア劇にも挑戦する今最も勢いのある俳優のうちの一人である。韓国俳優パク・ウンテとの親交も深い。哀しみを併せ持つ美しさで観客を魅了するアンリの姿に、彼の影響が感じられる。韓国ミュージカル界を代表する俳優たちが渾身の力を込めて表現した「私は怪物」等、かなり難しい曲に果敢に挑戦し、彼自身が一段階高い水準の舞台を経験した。成熟した姿が感じられる加藤のアンリ/怪物は今後の公演でも相当進化するであろうという予感がする。

C21QxW8UkAAa0Ih_201703092020457db.jpg

人間を浮き彫りにし、古典の力を再認識させる演出

演出を担当した板垣恭一は小劇場で人間のドラマを丁重に描くと定評のある人物である。制作発表会で彼はこの作品を「古典の新しい解析」と規定した。日本公演で強く感じたのは、私たちの人生と連結された共感台である。ビクターをとりまく市民たちの無責任な正義は結局他人事ではなく私たちの姿を見るようであった。古典が古典として残れるのはこのように今を生きる人々に警鐘を鳴らしてくれるからである。

壮烈な人生の旅路の末に、北極で対峙するビクターと怪物。ビクターの目に映る人は怪物?あるいはアンリ? 韓国公演と比較すると、一層観客に対してこの解析を任せている余白のある演出だった。また日本で新しく演出した怪物のわだかまりを象徴する1場面は筆者には大きな衝撃だった。この変化には両国の情緒と個性が感じられた。これが、この国のプロダクションに脚色と演出を任せた意味であり面白さであろう。世界に出て行く作品はこのようにしてその土地へ根を下ろす。

意外にも、ビクターとアンリの友情が浮き彫りにされる酒場場面のショー的要素(エンターテインメント性)や観客を圧倒する大きなスケールは韓国公演に比べると弱くなった。だが人間の心を一層深く見せてくれるディテールは光を放ち、多くの日本の観客たちの心を掴むのに成功した。

開幕前から日本の観客たちにも関心が多かったこの作品は、開幕以降も再観覧が多くなり、すでに日本公演界でも有名になった。韓国キャストが初日劇場に現れると彼らに気づいたファンたちも多く見受けられた。観客次元の国境を超える交流は予想より活発だった。加えてこの作品のようにライセンスで公演することで、オリジナルの韓国版、また韓国創作ミュージカル自体に対する関心も高くなっている。今後新しい交流を通じて、制作次元でもお互い刺激しあえる関係が続くよう切実に願う。

関連記事
スポンサーサイト



0 Comments

Leave a comment