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またまた「報道指針」でゴメンナサイ・・・^^;

なんか、しつこくてスミマセン・・・^^;

またまた<報道指針>なんですが、今度の記事は記者さんのレビューとは異なり、大慶大学の教授サマによる 「評論」的な記事です。なので、文章が硬く・・・ちょっと読むのが難しかったです。韓国語の勉強に良いかな~~と思って訳してみました^^

<報道指針>の演劇の評価としては★4つでした(満点は★5つ)。



元記事はこちら → kmib


[キム・ゴンピョ教授の演劇話] 36. 歴史の重さを真摯な笑いで捻った<報道指針>

演劇<報道指針>と抵抗の歴史

第5共和国時代にマスコミを統制した「報道指針」を扱った演劇一編が30年ぶりに現実の外に演劇として描かれて観客の反応が熱い。 オ・セヒョク作家が書きビョン・ジョンジュが演出した演劇<報道指針>(6月19日まで・スヒョンジェシアター)である。 第5共和国時代には言論社にファックスで下達されるニュースの検閲が存在した。 いわゆる報道指針である。 1986年、韓国日報キム・ジュオン記者は1985年10月から1986年8月まで文化公報部が各言論社にファックスに送った584個の報道指針が入れられた文件を提供し、その年月刊「言葉」は9号で「報道指針-権力と陰謀」という題目をつけて当時権力によって報道が操作されマスコミの自由が毀損されている現実を暴露しながら世に知らせた。

1980年代は独裁政権打倒を叫び民主主義の大韓民国のために大学生は通りに走り出た。 催涙弾がアスファルトを覆い一都市を飲み下した時代だった。 大学キャンパスは私服警察と大学生が入りまじってキャンパスを占領した。 報道指針で時代の抵抗精神と真実の声は空を突き破ることができなかいまま虚空にくるくる回わっている。

作家オ・セヒョクはこの熱い80年代第5共和国時代の報道指針のモチーフを今日に時間を回しておく。 毎日ファックスで下達される報道指針は今日では存在しないが、「暗黙的な内面の自律的な指針で真実は毀損されていないか」、または「抵抗で書いた民主主義の歴史の時代精神の同志らは相変らず有効であるか」という視線を凝集させる。 報道指針が存在した80年代は熱い抵抗の歴史である。 真実な時代がほしかった歴史、民主主義の大韓民国に戻しておくために独占化された権力に抵抗した。 市民と大学生は熱い胸で催涙弾が裂ける通りの真ん中に出て怒りに身投げをして抵抗しながら流した血水は通りとアスファルトの上に染みこんで成熟した大韓民国民主主義の地図を描き出した。 市民は光が差し込まない時代に抵抗しながら大韓民国社会は6月抗争を通じて6・29民主化宣言を導き出した。 そして今日大韓民国の真ん中を息をしながら歩いている。

当時月刊「言葉」の発行人とキム・ジュオン記者など6人はこの事件で国家保安法違反及び国家冒涜罪で拘束された。 一部のマスコミ人3人は87年6月に執行猶予で釈放され、キム・ジュオン記者に下ろされた懲役8ケ月資格停止1年執行猶予1年の宣告は94年7月5日に至ってからは無罪判決として確定された。 1987年1月情報機関で調査を受けたパク・ジョンチョル拷問死亡事件は時代の衝撃であった。 「ばしっと殴ったら、おっと言って倒れた(*1)」と言う非常識な死の論理は権力の隠蔽と操作論難につながり権力の心臓部に向けた国民の怒りに包まれた。 通りに出た市民、大学生の強烈な抵抗の叫びでその年6月抗争につながり、大韓民国社会は6・29民主化宣言を成しながら報道指針は歴史の時間に立ち止まった。

(*1)탁하고 치니 억하고 쓰러졌다:拷問によって亡くなった事件の死亡原因説明。実際は殴る蹴るなどの他、水責めなどの拷問もしていたようだが、死亡原因として「탁하고 치니 억하고 쓰러졌다(ばしっと殴ったら、おっと言って倒れた)」と書かれたらしい。


「演劇は時代の精神」で武装したオ・セヒョクの嘲弄と笑いに混ざった風刺

ヘル(hell)朝鮮で韓国社会を嘲弄の目つきで眺めて、大韓民国を揺さぶった大型事件たちはニュースを通じて電波に乗りながらも市民の目と耳は相変らず晴れ晴れとはしない。 真実性が曖昧になったのである。 オ・セヒョクは「演劇精神で真実性を連帯して愉快な遊びで抵抗」してこの隙に入り込んで今日に投映する。 舞台はオ・セヒョク特有の遊び的な舞台に転換されうるように報道指針事件を裁判する裁判長、論争の広場、心を告白する本当の劇場に場面転換になりうるように開かれた舞台で転換する。 舞台左・右に広い机と椅子を可変的に配置し、上端には裁判長席で空間を2元化する。 開放的な舞台はブレヒト的に開いておいて歴史の視空間を遊びで出入りする。 オ・セヒョク特有の話術は愉快さで構成を丈夫に設計しておいて、演出は笑いの強烈な真実性で武装して報道指針を今日に建築する。

演劇のモチーフは80年代報道指針の歴史を演劇的に武装して召還する。 キム・ジュオン記者は劇中人物ジュヒョク(ソン・ヨンジン)として扮し、月刊言葉は「独白」に換気される。 初場面はジョンベ(アン・ジェヨン)とジュヒョクが外信記者の前で文件を持って報道指針を暴露する記者会見場に転換される。 客席から飛び出した女(パク・ミンジョン)は舞台を記者会見場に回しておく。 観客は歴史の真実性を暴露する場面に向い合いながら市民参加裁判を形成させる。 演劇は彼らが証言する歴史の秒針に付いて本当の叫びが割れて行く場面を形成しながら、80年代真実な喊声の抵抗意識は褪せた記憶だけで存在したまま今日の生を描き出し、報道指針は相変らず「歴史の記憶だけで存在するか」という視線で眺める。

記者会見場は外信記者だけがいる状態であり、国内記者はただの一人も取材現場へ来ておらず、「大韓民国は声が広がって行かない真空状態」だと女性は声を高める。 相変らずマスコミの自由は毀損されていて真実は曖昧な失踪状態現象で報道指針を演劇的に回しておく。 ジュヒョクとジョンベが暴露した584個の報道指針の文件は二人の真実に向けた叫びで強打しながら舞台は法廷に転換される。 30年前の報道指針の文件内容は「記事の大きさ、編集の配置、題目、写真配列」など記者が取材した記事を世の中に出す前に徹底的な検閲と統制が成り立った。 ニュースの比重と価値は権力によって毀損されて真実は権力によって隠蔽され縮小された。 記事は絶対不可、不可、可で表記され徹底的に編集された。

この暴露文件を扱った演劇報道指針が観客に熱い視線をひくことができるのは「今日のマスコミの自由は統制を受けないまま相変らず自由に息をして大韓民国の真ん中を動いているのか?」というちょっと重たい質問を愉快な演劇精神で武装する。 作家オ・セヒョク特有の嘲弄は劇中風刺に設計されて演出は笑いで劇的テンポを高める。 歴史の重みを俳優の密度ある演技とアンサンブルを形成してリアリティーあるように描き出す。

オ・セヒョクは「386世代の熱い抵抗意識が今日にも本当の叫びとときの声が胸に付着しているか?」という疑問符を演劇で設定するために劇的構成をねじる。 この事件で法廷に立った四人は友達として設定される。 権力機関を代弁する検事ドンギョル(エノク)と被告人ジュヒョク(ソン・ヨンジン)の弁護士スンウク(キム・ジュワン)は大学演劇サークルで演劇をともにした友達である。 オ・セヒョクは判事ワンダル(チャン・ヨンチョル)も法廷に立った人々の大学時代の演劇サークル指導教授として縛りながら386世代の抵抗の時代精神を「演劇は時代の精神である」で先に立たせて時代精神と真実性を融合する。 歴史の時代に立って一声を出した彼らの叫びが裂かれている今日の現実に換気されながら演劇的に距離感を狭める。

彼らが大学のキャンパスで一緒に作った演劇は時代精神であり、舞台は真実を訪ねる広場である。 演劇をともにした歴史の同志愛は80年代時代の抵抗性を叫んだ青春である。

この二つの関係を演劇的な連帯装置で縛りながら本当の叫びは曖昧な失踪状態で連結されて舞台は彼らが本当の内面を告白する劇場と疎通と論争の庭先になる。 報道指針は演劇サークルの同志愛を形成しながら「独白」を通じた人間の真実性を迂迴的に振ってこれら独白を通じて本当の内面を訪ねる過程を愉快に場面に転換させる。 ハムレットの独白を通じて生と人間の真正性を力説して太鼓、鉦、どら、鼓は80年代抵抗精神を隠喩する。 彼らが演劇で連帯できることは演劇だけが時代に向けて真実を言えるという信頼である。 演劇を通じて真実性を盛り出すことができることは疎通と論争を通じて演劇という真実性で距離感を狭める事である。 劇中人物の男(キム・デゴン)は特有の才覚で多様なマルチ男と演劇サークルの男の先輩役を多様化しながら各場面ごとに笑いで温もりをもたらす。

演劇組指導教授(ワンダル)は表現の自由と演劇を通じて時代の精神を注入し、演劇サークル定期公演で選択したガリレイ科学者が真実のために争う過程を描いたブレヒトの「ガリレイの生涯」を、ワンダルが引き止めにたにも定期公演としてあげたジュヒョク、ワンダル、ギョンベ、仲間たちはこの公演で権力によって拷問にあう場面に転換されて残酷な歴史の時代を愉快な速度で付着する。 ワンダルは彼らをいかし出すために権力者(劇中人物関係者)にひざまずいて彼らをいかし出すが、今日判事に会った指導教授は引き裂かれた理念と本当の温度が曖昧になった人々に言える言葉は「距離感を狭めること」と「均衡感」である。 彼らに時代精神を注入した強烈さは老衰したリアリストに転落される。

オ・セヒョクは四人(ワンダル、ジュヒョク、ギョンベ、スンウク)を同時に法廷に呼び立たせながら今日変化した人々の本当の温度を測定する。 リアリストに変化した判事(ワンダル)、そして権力を代弁する検事になった(ドンギョル)、相変らず真実を叫びながら生きて行く(ジュヒョクとギョンベ)が二人の本当の温もりを覆っている(スンウク)は報道指針を暴露する文件を持って真実を追跡し裁判長に呼ばれて出た証人の声は今日の権力を打撃し嘲弄されて演劇サークルの場面を通じて時代精神の温もりを注入する。 最後彼らをそれぞれ懲役1年資格停止1年で判決したワンダルは「こういうのを均衡というのですか」と尋ねるギョンベの言葉に「知らなくて尋ねるのか。本当に驚いて尋ねるのか。そんな目、そんな目で見るな。すべて分かっているというような目で眺めるな。そう、私は均衡を守ったのだ。私が守ることができる均衡。」 作家は歴史的報道指針の重みをテンポよく演劇に換気させ彼らが行く道に正義、真実、心の声を付着して今日表に出す。

80年代真実になった抵抗の叫びと失踪

作家オ・セヒョクと演出ビョン・ジョンジュは熱い歴史の時代に演劇的な設定と材料を盛り込んで、30年が経った今日にも相変らず流れている本当の失踪現象を持って韓国社会を狙う。 80年代権力に向けて抵抗して言った声で本当の叫びを連帯した386世代は進歩と保守になって国会で、検・法曹、大企業で、または韓国社会のエリートに成長しながら理念はひび割れ韓国社会の支配階層に成長した。 慣れた生の成長速度は真実の温度を測定する基準も変わった。 熱い時代に向けて胸から吐き出した怒りと抵抗は仮面ではない真実性であった。 時代権力に抵抗して健康な民主主義大韓民国社会に回復させるために一声で抵抗した連帯の歴史と叫びは今日失踪されるとか曖昧になった形で韓国社会に付着している。 歴史の時代に真実性は陥没されて、表現の自由は抑圧されたまま、マスコミの自由は息を殺した時代の報道指針を持って今日大学路の真ん中で終始一貫笑いをぶらさげて同時代に走る演劇報道指針は作家オ・セヒョクと演出ビョン・ジョンジュの「時代精神」である。

劇中人物ワンダル役を引き受けたチャン・ヨンチョルは老練さで劇の重みを維持し、ソン・ヨンジン、アン・ジェヨン、キム・ジュワン、エノクは場面を力が強く率いて行く。 特に俳優キム・テゴンは報道指針の重みを笑いでダイエットさせて劇に活力を入れ、パク・ミンジョンは場面を軽快に率いて行きながら作品の均衡感を形成している。 薦めたい演劇である。 作品評価★★★★


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